イベントの中止と再開を、室町時代の戦乱から読み解く

教員コラム(六花) 2023.08.22
中本真人 人文学部 准教授

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大、およびその防止を目的として、多くのイベントが中止や規模の縮小を余儀なくされました。私たちの身近なところでは、学校行事や地域芸能も、コロナ禍の影響を長く受けました。 今年(令和5年)になって、ようやく多くのイベントが再開し、コロナ前に戻ろうとしています。しかし、コロナ禍による数年間の中断が、少しも影響を残さないとは考えられません。5類感染症に移行しても、なおマスクを着ける人が減らないように、一度身に付いた習慣はなかなか変わらないものです。おそらく再開後のイベントも、コロナ前に完全に戻るのではなく、コロナ禍による影響をともないながら、新しい形に変化していくはずです。

私は朝廷の年中行事、特に宮廷の御神楽に関する研究を続けてきました。よく宮中や京都の年中行事は、千年以上に渡って続けられてきたと紹介されます。しかし、それらの行事は昔から全く姿を変えずに続いてきたわけではありません。また中止や延期を一度も経験しなかった行事もありません。その中断の理由は、疫病であったり、戦禍であったり、人材の減少であったりと、さまざまでした。

応仁元(1467)年に始まった応仁の乱では、すべての朝廷の行事が中止となりました。後土御門天皇が室町殿(将軍の邸宅)に避難して、10年以上も内裏(現在の皇居)を留守にしたために、本来内裏で実施すべき行事ができなくなってしまったのです。例えば、天皇即位の儀礼である大嘗祭も長く途絶えることになり、再開されたのは何と江戸時代中期でした。

すべての朝廷の行事が中断する中にあって、いち早く再開された行事が内侍所御神楽(ないしどころのみかぐら)でした。内侍所御神楽は、天皇家の祖先神である天照大神に神楽を奉納する行事です。内侍所に安置される神鏡(天照大神の神体)も、天皇に付いて室町殿に移ってしまったため、ほかの行事と同じく中断しています。内侍所御神楽の再開にあたっては、当時の公家たちの大変な努力と執念がありました。また室町時代特有の芸能文化をめぐる環境も関係しました。その詳しい動きを知りたい方は、拙著『なぜ神楽は応仁の乱を乗り越えられたのか』(新典社選書、2021)をお読みください。

室町時代の戦時下の公家たちは、厳しい現実を受け入れながらも、粘り強く伝統を守ろうとする人々でした。その姿からは、中断を経た行事を再開する上でのヒントも多いのではないでしょうか。

中本真人著『なぜ神楽は応仁の乱を乗り越えられたのか』(新典社選書、2021)

内侍所御神楽再開に関わった四辻季春の和歌短冊(中本所蔵)

プロフィール

中本真人

人文学部 准教授

専門は芸能論。特に宮廷の御神楽を中心とする古代中世芸能史の研究。また人文学部附置越佐・新潟学推進センターの代表として、佐渡市教育委員会との連携事業にも取り組む。

研究者総覧

※記事の内容、プロフィール等は2023年7月当時のものです。

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掲載誌

この記事は、新潟大学季刊広報誌「六花」第45号にも掲載されています。

新潟大学季刊広報誌「六花」

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