来るべき震災に備えて-東日本大震災と関東大震災を考える-

新潟大学教員によるコラム"知見と生活のあいだ"

教員コラム(六花) 2024.08.20
武藤秀太郎 経済科学部 教授

日本の三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生した2011年3月11日、私は留学先の中国・上海にいました。2008年9月より、ポストドクターにあたる高級進修生として復旦大学に在学していたのです。幸い新潟大学に就職が決まり、10日後に帰国する予定でした。

2011年3月末、私は日本に帰国しました。成田空港に降り立って実感したのは、上海で想像していたよりも被害がはるかに深刻であったことです。当時の話を聞くたびに、自分が東日本大震災の圏外にいたのを強く実感します。

他方で、中国人が大震災に見舞われた日本にいかなるリアクションを示したのかについては、身をもって実感することができました。この中国からみた東日本大震災については、ほとんど論じられていません。しかし、こうした非常時にこそ、中国人が抱く日本のイメージは、はっきりと浮き上がってくるといえます。

また、東日本大震災に対する中国人の受け止め方を考えた際に、比較対象として念頭に浮かんだのが、1923年9月の関東大震災でした。関東大震災から100周年にあたる2023年8月に公刊した拙著『中国・朝鮮人の関東大震災-共助・虐殺・独立運動』は、こうした問題意識をきっかけに取り組んだ研究をまとめたものです。

関東大震災100周年にあたる2023年に刊行した著書
『中国・朝鮮人の関東大震災-共助・虐殺・独立運動』(慶應義塾大学出版会)

東日本大震災の約半年前、尖閣諸島(釣魚島)の領有権をめぐり、中国で大規模な反日デモが起きました。それが東日本大震災発生で一転、同情ムードに包まれました。3月13日には、中国国家地震局所属の救援隊15人が被災地入りしています。実は、関東大震災前にも旅順・大連回収運動で日中関係は険悪化していましたが、地震が発生すると中国人は官民挙げて、日本に支援の手を差し伸べました。たしかに、アダム・スミスが『道徳感情論』で指摘するように、地震における国際的共助といった利他的な精神は所詮、利己心と比べて長続きしないのかもしれません。しかし、そうであっても「まさかの友は真の友」として発揮された共助の精神をしっかりと記憶にとどめておくべきでしょう。

東日本大震災ではまた、被災者の冷静な対応、社会秩序の維持、互助の精神などが、海外メディアから称賛されました。こうした日本人の姿勢は、関東大震災に対する外国人の論評からも確認できます。もちろん、これに反するような事態もありました。ただ、この両震災における総体的な評価は、肯定的に受け止めてよいでしょう。来たるべき新たな震災でも、同様の評価が得られるよう、人間関係の維持・強化に努めてゆかねばなりません。

プロフィール

武藤秀太郎

経済科学部 教授

専門は東アジア近代史、社会思想史。近年は、19世紀以降の日本を含めた東アジアのインテレクチュアル・ヒストリー研究に関心があり、その研究に取り組んでいる。

研究者総覧

※記事の内容、プロフィール等は2024年7月当時のものです。

タグ(キーワード)

この記事をシェア

掲載誌

この記事は、新潟大学季刊広報誌「六花」第48号にも掲載されています。

新潟大学季刊広報誌「六花」

ページの先頭へ戻る