小さな動物の中にゲノム進化の秘密を知る

教員コラム(若手研究者) 2025.05.26
吉田恒太 脳研究所 特任教授

厳しい冬をこえて、5月の新潟では春の花々が忙しくも一斉に咲き乱れている。そこかしこに咲く花を愛でながら浜辺へと向かう愛犬との散歩は、この時期ならではの格別なひとときである。浜辺の手前に広がる松林では、ハリエンジュの大木が一斉に白い花を咲かせ、待ちに待った新潟の青空に彩りを添えている。この美しい景色とは対照的に、その近くには薬剤散布の告知、「防除」の文字が目を引く。春を待ち侘びていたのは私たち人間だけではない。目に見えない動物たちもまた、目覚め始めているのだ。

松はこの地域を象徴する樹木だが、一様に黒松が立ち並ぶ松林は害虫に脆弱でもある。いわゆる「松枯れ」は瞬く間に広がり、林はたちまち枯れ木ばかりに様変わりしてしまう。この松枯れの犯人は線虫という小さな動物だ。彼らは松の樹脂細胞を破壊し、松を枯死させることでカビを増やし、そのカビを餌にして繁栄する。被害が林全体におよぶ原因は、彼らの驚異的な繁殖力にある。一つの卵が5日後には100匹産むペースで増えるのだから、2週間で1匹が数十万匹に増えてしまう。さらに、彼らはマツノマダラカミキリという昆虫に付着することで林に分散する。目に見えぬ動物といえども侮るなかれ。彼らはその能力で、目を見張る甚大な被害をもたらすのである。

このような松枯れを引き起こす「マツノザイセンチュウ」は無数にいる線虫の一種にすぎない。線虫は線形動物とも呼ばれ、地球上には100万種以上の種がいるといわれている。その多様性を裏付けるかように、あらゆる環境に適応した種が存在し、生態系の一部として重要な役割を担っていると考えられている。しかしながら、その多様性が本格的に注目されるようになったのは、近年になってからである。一方、シー・エレガンスという線虫は有名なモデル生物であり、細胞の観察のしやすさ、飼育の容易さ、世代時間の短さ、多様な遺伝的操作手法などにより、ノーベル賞を受賞した研究を含む、数多くの先端的な研究に用いられてきた。線虫は大きい多様性をもつ一方で、その原理を実験的に探究するための基盤が整っているのである。

私は線虫の多様性を利用することで、生物のもつゲノムDNAの進化の原理を明らかにしようとしている。中でも私が着目しているのは、「プリスティオンクス属線虫」である。これは自由生活性の線虫で、ドイツのマックスプランク研究所のゾマー研究室の精力的な野外採集の結果、過去20年間に50種以上の新種が記載されている。私は9年前、ゾマー研究室で、線虫の種分化研究を一から始めた。ゲノムがどのように多様化することで、一つの種が複数の種に分化するのか、それは進化生物学でも大きな課題の一つである。私は実際に線虫の比較ゲノム解析や量的遺伝子座解析を通して、種分化を促進するゲノム進化として染色体の融合や開裂が重要であることを明らかにした。現在、この線虫に同様のゲノム進化を人為的に引き起こすことで、種分化が実験的に再現できるかどうかを検証している。また、新潟大学脳研究所で進めている別の研究では、脳の疾患に関係する遺伝子制御機構の解明に繋がるような、特殊なゲノム因子がその線虫で発見されている。

この小さな動物を起点として、壮大な研究の世界が今、まさに広がろうとしている。

プリスティオンクス属線虫の一種、Pristionchus paicificus。雌雄同体。微分干渉顕微鏡により、全ての細胞を生きたまま観察することができる。右側が頭部。体中央に卵が見える。

参考文献

  1. 奥村ら「さまざまな線虫が教えてくれる生命現象」虫の集いホームページ、https://plaza.umin.ac.jp/wormjp/wordpress/about/about-6/
  2. Yoshida et al., “Chromosome fusions repatterned recombination rate and facilitated reproductive isolation during Pristionchus nematode speciation”, Nature Ecology & Evolution, 7, 424-439 (2023)

プロフィール

吉田恒太

脳研究所 特任教授

博士(理学)。専門は進化ゲノム生物学。マックスプランク研究所シニアスタッフサイエンティスト、国立遺伝学研究所特任助教を経て2024年1月より現職。線虫を用いたゲノム多様性学により、ゲノム進化の原理解明を進める傍ら、ゲノム多様性から脳の疾患の進化的起源の解明を目指す。

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